お坊さんの金銭感覚の違いに驚くことも
お坊さんと飲食をともにしたり、お寺で雑談などをするときにその金銭感覚に驚いてしまうことも多いものです。もちろんしっかりとした金銭感覚を持っているお坊さんもたくさんいらっしゃいますが、1部には一般の人とは異なる感覚となっている場合もあり、そのような人とお金の話やその他の経済的な問題を話す場合には驚いてしまうことも少なくありません。
お坊さんは金銭感覚がおかしい?
その傾向が顕著に表れるのがお葬式の後一緒に外のお店に飲食に行く時などです。高い料理や高いお酒をどんどん頼むことが多いので、こちらは驚くと同時に自分たちの懐具合が心配になってしまうことも少なくありません。しかし、こちらのそのような気持ちを察することもなく次々とお金のかかる行為を行うこともあるのです。その背景には、お寺の生活がほとんど檀家などのお布施により支えられていると言う背景があります。
多くの檀家はいろいろな場面でお世話になるからと多額のお布施を行うことが少なくありません。また、法事等でも本来の費用のほかに多額の寄付がされることも多いものです。そのため黙っていても多額のお金が入ってくると思い込んでしまう場合があり、そのために金銭感覚が麻痺してしまうケースがあると考えられます。
悪質な場合もある
また最近では高級な飲食店などに出入りし、その費用を全て檀家に持たせていると言う悪質なお坊さんもいるようです。このような場合には他人のお金で遊んでいるようなもので、少しの法事の世話をしただけで多額のお金を要求してきたり、その他にもいろいろな問題を起こす場合も少なくありません。多くの場合には代々お寺の家を継いでいることから一般のような金銭感覚がなく、自然とお金が入ってくるような感覚でいるためにそのお金を湯水のごとく使ってしまう傾向があるのです。
信用を得るために
お坊さんの金銭感覚が一般とは異なる要因に、様々なものにお金がかかると言う面があり、これが多くのお布施や寄付で成り立っていると言う部分があります。見につける袈裟は金などで非常に鮮やかな物が多いのですが、これらは非常に高額で一般の人が簡単に購入できるような金額ではありません。しかし自分が様々な法要等を依頼する人が見た目に安っぽい袈裟を身に付けていたのではその信用度がなくなると言う感覚もあるため、できるだけ高い袈裟を身に付けていただきたいと考える人も多くなっています。そのために高額のお布施をしてこれを購入する足しにしたいと考える檀家も多く、そのことがさらに外見的に金銭感覚を麻痺させていると思われる向きもあるのです。
サラリーマンからお坊さんに?
ただし遊んでると思われがちなお坊さんですが、実際にはしっかりと金銭感覚のバランスを保ちながら仕事をしているケースも少なくありません。特に最近では世間を相手にするからには世間の感覚を養った方が良いとサラリーマンの経験をしてから自宅のお寺を継ぐと言うケースも多く、一般と同じようなお金の使い方をしながら、仏門に関する仕事を全うしていることも増えているのが実態です。このような場合には普段の生活は非常に質素で、金銭感覚も一般と変わらず、法事の後の食事でも過度な飲食をしないという場合が多いのです。
仏の世界では現世とは異なる金銭感覚があるとも言われており、その中でも本当の価値があるものを求めると言う考え方もあるため、現世の物価に当てはめてみるとこのようなものは全て高額になると言う事実があります。仏に仕える立場では仏様にいい加減なものを差し上げることができず、またあくまでも物価は現世の論理であるため値段が高いか安いかではなく、本物を見極める目を持つことが重要だと考えられているのです。そのため美しいものやおいしいものを求めなければいけないと言う教えもあり。これを全うしていくと現世の世界から見た場合に非常に贅沢をしていると感じられてしまうものです。
質素なお坊さんが大半
お坊さんの多くは基本的な仏教の教えにあるように、非常に質素な生活をしていると考えられます。素食と言う言葉があるように、様々な生きる源をしっかりとつかまえてこれを求める精神が仏教の教えの基本となっています。そのため、必要以上の贅沢をするのではなく、必要に応じて適切にお金を使うことが仏教の世界でも非常に重要な事柄であるとされているのです。見につける袈裟が金色なのは単に贅沢をしたいからではなく、金が仏教では仏様の色であり、多くの人にご加護と導きをもたらす色とされているためその色を身に付けることが多いためです。これが現世では最も価値の高い金と同じと言うことになってしまっているためで、金色の袈裟が贅沢の象徴と言うわけではありません。
生活そのものが一般の感覚とは異なる
しかし、このような本物を求める教えの中で生活していることから、一般の感覚とは異なると感じることも多いものです。またお布施や寄付で生活をしている面があることから、多くの人が遊んでると思ってしまうことが多いのですが、一般とは異なる環境の中で生活をしていることから、その感覚も一般とは異なると考えることが重要です。